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00(Medical Tribuneなどの記事)【はじめに】今まで 一般(どなたでも)参照可能であったMedical Tribuneの記事が2000年9月27日から、 メディプロという会員制(ID+パスワードが必要)サイト内に移行してしまいました。
情報公開IT革命という世の中に於て、残念でなりません。 そこで乳癌に関連した参考資料とし【より参考になり得る情報=対談・医療のあり方を考える】 をここに転載させていただきました。転載責任の所在は吉利です。
Medical Tribune誌関連の方、近藤誠先生、川端英孝先生
転載にご不満がございましたら、webmaster@prodr.com(吉利)までご連絡をお願いします。

01(Medical Tribune Vol.30, No.20,)【対談・医療のあり方を考える】第4回 日本の常識は欧米の非常識?(上)
近藤誠氏はかつて,日本の乳癌手術は欧米より17年遅れていると批判した(『文藝春秋』1988年6月号)。それから満9年。乳房温存療法は普及しつつあるが,世界的な診療原則を逸脱しているのは,乳癌という狭い領域に限らないようだ。今回の対談では,東京大学第二外科の川端英孝氏をゲストに迎え,その実態や背景を考える。(毎月第3,4週号掲載)

東京大学第二外科助手 川端英孝氏(かわばた ひでたか)
1963年生まれ,88年東京大学医学部卒。乳癌の診療を中心にした臨床腫瘍学を専門とする。東京共済病院でも診療に携わる。共著書に『がん論争を読む 患者のためのがん治療事情』(三省堂,97年 5 月刊)

慶應義塾大学放射線科講師 近藤 誠氏(こんどう まこと)
1948年生まれ。73年慶應義塾大学医学部卒。癌の放射線治療を専門とする。医療の情報開示を積極的に進めるなかで,96年に刊行された『患者よ,がんと闘うな』は大きな反響を呼んでいる。

何も考えずに診療をしている?
本紙 川端さんは1996年 8 月号の『文藝春秋』に「近藤誠がん理論を検証する」という論文を書かれ,近藤さんの考え方をおおむね肯定されました。当時も今も近藤さんに対しては村八分的な雰囲気があるのに,一般の人に向かって書かれたことに驚きました。その背景を説明していただけますか。

川端 ぼく自身が乳癌を専門とするようになったのは92年 7 月からで,近藤さんが温存療法について書かれているのは知っていましたが,“なんかヘンなことを言ってる人がいる(笑)”。ぼくを含めて当時の外科医の評価としては,そんなものだったと思います。
大学では卒後数年すると術後の患者さんを責任持って診る立場になるので,抗癌剤の勉強を始めると,日本の実態と英語の文献内容にあまりの落差があることに驚きました。でも,日本でみんな専門家として20年も30年もやっているんだから,何か理由があるんだろうという程度で,その理由が分かりませんでした。勉強を続ける一方で,乳癌学会などで質問をしてもこの疑問にまともな答が返ってこないんです。それで,要するにみんな何も考えていないんだな,考えずにただ適当にやっているんだなと気づいた(笑)。そこで,抗癌剤がおかしいなら手術も放射線もおかしいだろうし,乳癌だけでなく日本の癌治療全般がおかしいだろうとなって,日本語で書いてあるものは信用できない−−少なくとも鵜呑みにはできないとなったんです。 こういう背景があって近藤さんの書いたものは“ちょっとおかしいけれど,日本の現状よりはまともだな”となり,診療経験を積むにつれて納得の度合いが増したという経過ですね。

本紙 『文春』に論文を出されるきっかけみたいなことは?

川端 日本の現状があまりにおかしいので世の中に訴える必要はあると思っていたし,近藤さんが世間の注目を浴びている時期だから,良い機会だと思ったんです。外科医が近藤さんを無視する 1 つの理由に「彼は放射線科医だ」というのがあって,放射線科医が変なことを言ってるわい,というぐらいにすましている面はあると思います。だから,外科医が何かを言えば無視しにくいし。

本紙 東大という看板もありますね。

川端 東大を代表しているわけではありませんが。

近藤 率直な印象を言えば,勇気あるなあという感じだった。ぼくからすると異論は少なからずあるけれど,川端さんが『文春』に書いたことの意義は多くの方が認めてますね。

川端 勇気というか,確かに学会や専門誌で乳癌検診は不要ではないかと言うんならば,だれにも迷惑はかからないと思う。検診関係の人たちも,不愉快には思われるかもしれませんが。一般の方に向けてこういう発表をするのはタブーに近い感じが確かにあります。でも,そもそもみんな何も考えていないと思うんですよ。

本紙 「考えていない」というのは?

川端 検診のことについて。

近藤 「みんな」は語弊があるけども,確かに考えている人は少ない。

川端 ぼくが検診に関して本質的に疑問を持ったのは『文春』に出す直前でしたから(笑)。

近藤 直前に勉強したの?

川端 ふだん検診のことを勉強している臨床医なんてほとんどいないと思いますよ。『文春』では抗癌剤と手術のことだけを書こうと思っていたら,編集部が「抗癌剤や手術は癌になった人しか興味がないから,検診のことを書いてほしい」と言うので。私自身,以前にある癌専門病院に出る話があって,そのまま出ていたら,こんな疑問を持ったかどうか。癌の専門病院であればあるほど,診療方針に細かなチェックが入るから。『文春』に論文も書かなかったでしょうし。環境が大きいと思うんです。

近藤 環境の問題は確かに大きいね。ただ日本と欧米が全然違う場合,理屈では日本のほうが正しいこともある。そこはどう判断したんだろう。

川端 抗癌剤を例にすると,抗癌剤は事実上1950年代ごろに出てきて,当時はサルファ剤や抗生物質と同じように単剤持続療法が基本でしたね。薬物療法の基本として多剤をいきなり使うことはまれです。でも,白血病や悪性リンパ腫の抗癌剤治療の知見から多剤併用のほうがいいと分かってきた。さらに,持続投与より間欠投与がいいという流れができた。70年代以降の乳癌の臨床試験でもこの原則が確認され,さらに投与期間も,「長期」がせいぜい数か月になってきた。投与量も量を減らすとだめで「短期間」「高濃度」になった。さりとて一定の量以上加えてもだめ。これが 1 つ 1 つの臨床試験で確認された原則だと思うんですが,その 1 つ 1 つが日本では全部無視されているんです。

近藤 そうね。

川端 ですから,日本の現状には何の科学的な根拠もないと確信したわけです。

乳癌診療は“空白地帯”
近藤 抗癌剤に関しては欧米で言われていることのほうが正しいと判断して,そういう目で見直したら問題意識が広がったわけね。乳癌の手術では,日本の患者には乳房切除のほうが向いているんだという外科医の通説があったわけだけど,そこはどういうふうに?

川端 話を戻しますと,抗癌剤では,日本人には欧米の量は無理だという話があって,でも中国人に良いものが日本人に悪いはずはないだろうとまず思いました。向こうで言うCMF療法とかCAF療法とかやってみると,副作用が同じレベルで出るわけですね。だから,それはインフォームド・コンセントしていないからできないだけで,日本人特有の思い込みが原因だと思いました。

近藤 そうですね。抗癌剤については,ぼくは悪性リンパ腫をよく診ていたので,同じような話を知っている。日本人には大量は無理だからとちょこちょこやっている医者にかかると再発が多くて,というような。患者さんに癌と知らせて抗癌剤治療を欧米流に変えたら成績も上がった。

川端 日本と欧米で,少なくとも治療法の基本原則がそんなに変わるはずはありませんよね。お腹を開けてみれば,外国人も日本人も同じところに同じ神経が走っていますから。猿と人間は違うんだと言われればそうかと思うけれど,人間同士でそんなに違わない。それに米国は多民族国家ですから。

近藤 そうだよね,そこらへんはぼくと同じ道筋をたどっている。 患者さんもそうだろうけれどわれわれもね,目の前で行われていることは正しいんじゃないかと思っちゃうから(笑)。まさか人間の体に対して明白な誤りが行われているとは思いにくい。そこをどう誤りに気づくかが問題ですね。気づかないとズルズル行っちゃう。

川端 乳癌は専門家が少ないから。これが消化器外科であれば,上にいっぱいいますから,ぼくが治療の根幹を「変えたい」と言っても,なかなか通らないと思うんです。

近藤 乳癌を専門にしている教授の数は確かに少ない。

川端 他の癌に触れると問題ですけれど,乳癌にはみんなの関心が少ないから−−ま,空白地帯なんですね。それで少なくとも治療の根幹の部分は国際的な常識に準拠するようにしました。上野君(上野貴史氏。東京共済病院の同僚の外科医。『がん論争を読む』の共著者)は千葉の病院にいたんですけれど,勉強していたから温存療法に関しても抗癌剤に関しても日本の現状はおかしいと分かっていた。でもあと 1 年たったらこっちに帰るというので,なかなか方針を変えづらかったようです。

本紙 すぐ辞める人が改革を言うのは無責任であっても,その病院の患者からすると納得できないでしょうね。

近藤 そうだよね。だから,問題点に気づいてしまったときの医者の振舞い方は難しいね。

本紙 大学ではトップに教授がいるわけで,簡単ではないんでしょうか?

近藤 それは必ずしもそうではないのね。大学なんかだと教授が細かい点まで指示していることは少なくて,大腸班であるとか乳腺班であるとか分かれていて,それぞれを講師・助教授クラスが担当してその人の考え方でやっている。だから,そこに開明的な人が座れば,かなり自由にできることがある。

川端 薬物療法の場合はみんなの関心が薄いから自由にやりやすいんですが,手術になるとみんなこだわりがすごくあるから。温存療法をやるとか腋窩郭清をしないとなると大変だろうと考え,それでどうしたかっていうと,大学でやらなければいいと思った(笑)。もちろん,大学のカンファレンスでみんなの理解を得てもよかったんですが,そもそも専門知識のない人たちの許可を取るというのも,いかにも日本的で馬鹿げていると思いましたから。

近藤 今,東大の第二外科ではほとんど乳癌の手術していないでしょ?

川端 ええ。でもそれは肝臓の手術だけでも年間百何十例もあるなどの事情で,乳癌手術の方針についての理解は得られています。

学位取得が臨床をおろそかに
本紙 比較的若手の医師に,これからは期待を持てると思いますか。

川端 問題意識を持っている人はいると思うんです。ただ,問題意識を持つのは何年か経験を積んでからで,だいたい 3,4 年やってるうちに,あ,ここがおかしいとか気づくんですが,そのころから大学院に行って何年か動物実験をやるんですね,学位(博士号)を取るために。そうすると一番ものを考える時期に臨床のことを考えなくなる。

近藤 外科系はね−−,いや内科系も似てるな。

川端 例えば外科の医者がね,ほとんど理科の実験のような研究をやって何の意味があるんだろうと思うけれど,学位がないと大学や病院の重いポストに就けない。だから,取りあえず取っておこうと。

本紙 博士号がないと出世に響くわけですか。

川端 正確には知らないけれど,大学では講師以上は学位が必要と思う。みんなそう思ってる。

近藤 慶應でも同じで,学位がないと講師になれないって風潮です。

川端 それが教授の権力の源だから,学位発行権として。米国なんかどうなんですかね,みんなMDとしか書いてないけれど。

近藤 そうそう,向こうでは博士号のための研究はやらない。研究機関に残っている医者は実験的な論文を書くけれど,指示だけして実験はだいたいテクニシャンがやってる。乳癌の大臨床家のバーナード・フィッシャーなんかも実験的論文を書いてるけれど,あれを直接彼がやったとは思えない。

川端 彼は外科医でも大したものですけど,普通の日本の外科医の実験というのは染物業みたいで,初めから基礎に行ってる奴なんかに聞くと「なんじゃ,それは」程度が多いみたい。

近藤 そうでしょ。片手間に実験をやって,それで医学に貢献できる結果を出せるということはないよね。それよりは,せっかく臨床を習ってきたんだから,そっちを一生懸命やったほうがいいんじゃないかとぼくは思うね。

川端 そうは分かってても,学位を取らないと不利だから。

近藤 現状ではね。でも不合理だと思う。あんなもの「足の裏のメシ粒」って言われてるんだから。

本紙 えっ? どういう意味ですか。

近藤 取ってもどうってことないけれど,取らないと気になる(笑)。 今のヒエラルキーの上のほうにいる人たちは,それを維持する道具として使っているから,自分たちのほうから,学位はいりませんよとは言い出さないだろうな。大学紛争の 1 つの原因はそこらへんを変えようとしたことにあったけど。

川端 ぼくもなんか適当にやって学位を取ろうと考えていたんですけれど,冷静になってみると乳癌の外科医を選んだ以上は出世しても高が知れてるから,学位を取る必要はないと気づいたわけです。ちゃんとしたことを普通にやっていけば疑問も出てくるだろうから,将来それが研究につながっていけばいいとは思う。ただ,そういう考え方をする人がいっぱい出て,これこれの臨床試験をやらなければならないというムードが出てこないと,意味のある臨床試験はできないと思うんです。

近藤 それはそうだね。今,日本でやっても全然意味がないだろう。

川端 だいたい,臨床試験の結果に従わない人たちが,臨床試験をやる意味はないですよ。薬はいろいろ問題があるかもしれないけれど,手術や放射線は割と純粋な部分があると思うんです。

近藤 確かに手術や放射線の臨床試験は信用性が高いように思う。似たような状態の患者さんを治療して,治療が短期間にパッと終わるからバイアスがかかりにくいんだろうね。

川端 結果で利益を得る人が比較的少ないし。

近藤 薬の場合は,それで利益を得る人が山ほどいるので,その結果を丸ごと信用できるかという話がどうしても出てきてしまう。ところで,抗癌剤の話では,川端さんはぼくが大腸癌に対して全否定しているように言うけれど,ぼくは全否定をしてはいない。「有効かもしれない」「有効だ」という論文が出ていて,そうかもしれないけれど,あるグループが 2 つ論文を出していて相互に矛盾するのに「有効だ」というのはおかしいと言っているんです。疑問が残るんです。
もう 1 つの論点は,日本では外国で有効と言われる薬がまだ使えないこと。だから結局,日本では大腸癌の抗癌剤治療の有効性は主張できない。また,これはぼくの新しい本(『がん専門医よ,真実を語れ』文藝春秋)でも紹介したんだけど,癌治療学会の会長の栗原さん(栗原稔・昭和大学教授)は胃癌には抗癌剤がある程度有効だけど大腸癌には有効性がないと,欧米とは逆のことを書いている。

川端 それは読みましたけれど,全く驚いてしまった。

近藤 日本の現状の象徴だろうね。

川端 乳癌にしても70年代ごろから有効だろうと言われてはいても,最終的に認知されるまでに約10年かかった。今,乳癌で抗癌剤が意味がないと考える人はいないと思う。大腸癌も乳癌で言えば70年代後半ぐらいでしょう。

治療原則にでたらめが多い
本紙 抗癌剤については,お 2 人に大きな違いはないんですか。
近藤 大筋では同じでも,細かい点は違っている。専門家としては,それがどうしても気になるんです。

川端 細かな違いこそが専門家としての基本的な考え方の相違ですから。

近藤 うん。一般の人は大部分同じだということを評価するのかもしれないけれど,ぼくからすると,ぼくの言ってることの大部分に同意するのは当たり前じゃないかと思うわけ(笑)。

川端 出発点が同じで,そこから先が違ってくる。ふつうに臨床腫瘍学の勉強をすれば,だれでも出発点までは同じになるはずなんです。

本紙 日本語の教科書で信頼できるものはほとんどないんですか。

川端 そうですね。

近藤 日本語で信頼できる教科書をつくるというのも,英文のものがあるから無駄に思うし。

川端 強いて言えば翻訳をすればすむことで。

近藤 でも,学生もせっかくハリソンなんかの翻訳があっても読まない。もっと薄いやつしか。

川端 国家試験も,問題を出す人が世界の常識を理解していない場合が多いから。それと,薬物療法では抗生物質の使い方が無茶苦茶なんですね。

近藤 そう,本当にひどい。

川端 結局,抗生物質で無茶苦茶やって,その延長に抗癌剤もあるんだろうと思う。ぼく自身は勉強していなかったから抗生物質について最初はあまり疑問がなく,ただ“いい加減に使ってるな”という程度だった。日本語のどのマニュアルを読んでも,何をどう使ったらいいか分からない。ただ慣習的に術後 3 日間とか 1 週間とかダラダラ使っている。

近藤 予防投与と称して,ね。

川端 ところが,乳癌の手術に抗生物質なんかはそもそもいらないというのが世界の常識だし,胃癌も術前 2 時間以内にワン・ショットで,術後は感染がない限り,予防投与はしないのが常識です。

近藤 手術時間がちょっと長引いたら,もうワン・ショット追加しておく程度でよい。

川端 こうした原則も,日本では本当にでたらめなんですよね。

近藤 日本だと逆に,手術が終わってから使うんだから。そうじゃなくて,メスが入った瞬間が細菌が一番入りやすいから,その前に血中濃度を高めておいて予防するのです。そういう考え方がない。術後にダラダラと,それも第三世代を使ったりするから耐性菌の問題が出やすい。

川端 考えてみると,私が研修医になってからこれまでに食事に連れて行ってくれたのは,抗生物質のメーカーさんと抗癌剤のメーカーさんだけですよ(一同・爆笑)。

本紙 それにしても,抗生剤の使い方の初歩というか基本が,なぜ伝わらないんでしょう。

川端 はっきり目に見える形での害はありませんから,3 日間ぐらいならいいんじゃないのという意識になりやすい。投与しないと,看護婦のほうから「抗生剤の指示が抜けています」なんて言われるぐらいですから。

近藤 薬剤メーカーとの癒着もあるね。現場レベルだけでなく,上のほうの暗黙の指示があったり。それと臨床治験の影響もある。治験は現状では,薬に対するいい加減な気持や態度がないと,とてもやってられない。あるいは,治験をやっているなかで気持がいい加減になることもあるでしょう。使っても使わなくてもいいんだけど,使っておこうか程度になりやすい。科学とは無縁です。

川端 ぼく自身が抗生物質のことでは驚きましたが,それも英文を読んでないと分からないんですよ。日本語の本だと「十分注意しなければならない」とか「耐性に注意しなければならない」など,総論的な言い方で終わっている。何が原則かとか,具体的なことが示されてない。

近藤 抗生物質を使っている医者が日本語の本を書くわけだけど,今まで自分がやっていることを正当化するために,そこでは触れない,とかもある。ぼくも,10数年ぐらい前だったか英語で書かれた術後の抗生物質の使い方に初めて接したときは,あ然としたよね。

(次号へ続く)
キーワード 【対談・近藤先生 川端先生-1】

02(Medical Tribune Vol.30, No.21,)【医療のあり方を考える】第4回 日本の常識は欧米の非常識?(下)
東京大学第二外科助手 川端英孝氏
慶應義塾大学放射線科講師 近藤 誠氏(前号より続く)

癌検診は生き残るか
本紙 集団検診の評価について,『文春』などを見る限りでは,どれを是とし,どれを否とするか,専門家でも意見がマチマチですね。これはどうしてでしょうか。

川端 その話の前に,検診がある程度有効だとぼくは言ってますが,現実の医療として検診がなくなってしまう可能性もあると思っているんです。

近藤 その根拠は,どういうことで?

川端 臨床試験に選ばれる有名専門施設で専門医がやっても有効性(癌死の減少率)が例えば10何%とか20何%であるとすると,全国の平均レベルの施設ではほとんどメリットがなくなってしまう可能性があること,そしてもう 1 つは総死亡数が変わらないという現実があるためです。近藤先生も言われてるようにたばこの問題が第一にあるのに,その対策を怠って検診を推進してもバランスを欠くし,高齢化社会で医療費が膨大になってきたことによるプレッシャーもあります。もちろん,一部の検診が全国的にシステム化される可能性もあると思います。  ただ,検診が有効か無効かは,癌の自然史を考えるうえで一番重要なというか,不可分な関係にあるのでおろそかにはできません。

近藤 理論的な争いのことだね。

川端 その点での議論は重要ですが,一般の,健康な人が検診を受ける意味があるかどうかは,また別の次元の問題です。

近藤 そうね。例えば,統計的な有意差はなくても,検診をやったほうが乳癌の死亡数が減るらしいというデータがちょっと出てはいる。でも総死亡数が変わらないということは寿命は延びないわけで,前回の対談でも大島さん(大島明・大阪府立成人病センター調査部長)は,寿命が延びると思うのは「錯覚ですよ」と言い切ってる。そういう錯覚の部分に一般の人が気付けば検診を受けないんじゃないかと思う。それに総死亡数に占める乳癌死亡はほんのわずかなものだし,大腸癌でも同様だから。

川端 だから,ちゃんと臨床試験のデータを自分で理解できる人は,なかなか検診を受けないと思いますね。検診にはデメリットがありますから。

本紙 先ほどの,検診の評価が専門家によってマチマチという問題は?

川端 どんな立場で物を言うか,我田引水的なこともあるでしょうし。立場が異なるからそうした違いが出る。逆に言えば,だれの目にも明らかに有効な検診はない,有効性を疑う余地が全くないものは,ない,ということですよ。だから,社会全体として強制的にやるほどの意味はない。

本紙 検診について,お 2 人の意見は同じなんですか。

近藤 一部は違うんです。例えば乳癌検診をやって乳癌死亡が減るかどうか,大腸癌検診をやって大腸癌死亡が減るかどうかという,2点だけについては今のデータをどう解釈するか,その点での争いが残っています。

川端 癌の進展というテーマからすれば,それが一番大事なことで,あとはまあ社会的な問題などになってくる。学問として見た場合は,乳癌検診を繰り返すことで本当に乳癌死亡数が減るかどうかは,すごく大事な,全体の流れを決めてしまう問題です。これがどうなるかで,乳癌の自然史を考えるうえで,一番のベースになるから。

近藤 そう,治療まで響いてくる。

全身病理論とスペクトラム理論,併存の矛盾
本紙 その辺を説明していただけますか。

近藤 例えばね,もし検診を繰り返しても癌死が減らないとすれば,今発見された癌を放っておいても癌死は増えないのではないかという考え方が出てくる。

川端 検診が全く意味がないんであれば,シコリを取るとか局所をコントロールすることはあったとしても,手術そのものが患者さんの生命を延ばすうえで役に立たないのではないかという議論になる。

近藤 それを確かめるには,見つかった乳癌について治療群と放置群に分けられれば一番クリア・カットだけれど,倫理的な問題からできないため,乳癌検診をやってみて,そこから類推しようということになる。検診の効果で疑いなく乳癌死亡が減るならば,癌の治療の場面でもそれを加味して治療法を考えていこうということになるわけです。

川端 ぼくと上野君と最近そうした議論をよくしていて,内容はこうなんです。乳癌で,癌の治療の場面では,全身病理論が欧米では圧倒的多数で,それに基づいて全身治療のための抗癌剤が使われている。手術とか放射線は,局所コントロールをするが,それ以上はほとんど役に立たないと考える。
これに対して,いや,統計的な有意差はつかないにしても,1,000人,2,000人程度の規模の臨床試験では差がつかない程度にはメリットはあるという考えがある。これはスペクトラム理論で要するに,一部は途中から転移を起こすだろうという。でもこれは少数派で,治療の場面では全身病理論が欧米でコンセンサスを得ている。
 ところが検診という場面では,乳癌は乳癌検診によって死亡数が減るというのが多数派なんですよ。でも乳癌検診が有効だとすると,スペクトラム理論が正しいということになる。ということは,スペクトラム理論と全身病理論という 2 つの理論が,検診では前者が多数派,治療では後者が多数派となって共存しているわけです。以前から,おかしいなと思っていたのがこの点なんです。

近藤 それぞれに立場によるバイアスがあると思う。全身病理論というのは,ぼくの言う「がんもどき」理論とほぼ同義なんですが,それが多数派ということはもっと知られていい。
 ところで,治療の場面でスペクトラム理論を唱えているのはだれかって言うと――これは偉い人たちなんだけど,ヘルマンとかハリスなどで,放射線治療医です。もし全身病説が正しいとすれば,手術だけした後は抗癌剤を使っておけばいい,放射線はいらないとなるから,その立場には不都合になる。

川端 治療の場面で今主導権を握ってるのはメディカル・オンコロジスト,つまり内科腫瘍医なんです。そしてその背後には抗癌剤メーカーがいるわけですが,彼らにとっては全身病説はすごく都合いいわけです。けれど,検診をやっている人たちには全身病説は困るんです。放射線治療医もスペクトラム理論でないと困る。再発した人だけに放射線をかければいいんじゃないかということになるから。外科医もやっぱり,スペクトラムでないと困るんです。
 両方の理論が間違っているという可能性もありますが,それぞれの立場に都合よく解釈して,この 2 つの理論が共存している現状は大きな矛盾がある。

本紙 矛盾が解消される見通しはどうですか。

川端 でも,検診 1 つを取ってもこれを否定するのは大変なんですよ。

近藤 欧米でも大変ですね。米国なんかは,開業医が乳癌検診を事業として始めていて,すごくもうかる。スーパーマーケットの横に検診車を停めて検診をして,個々の医者がもうけていたりする。日本のように公共機関がするわけではない。

川端 米国の治療医が仮に疑問を持ったとしても,それを公言することは難しいと思います。要するに検診を担っている人がどこへ患者さんを送るかの権限を持っているから。検診をやっている人は当然検診を否定しないし,治療医も,当然そのあたりを配慮することになる。

正確な情報がなぜ伝わらないのか
本紙 どの国でも,個人や組織の利害関係を含めて正確な医学情報が伝わりにくい仕組みがあるんでしょうけれども,それにしても,なぜ伝わらないんだと思いますか。

川端 専門家じゃないと本当のところは分からないし,専門家として食っている以上,自分がやっていることが無意味だとは思いたくないし――。

近藤 無意味と思っても発言できないでしょうね。例えば,米国の放射線治療医に個人的に聞けば,抗癌剤治療医に対する疑問を言うが,それは決して公式の発言にはならない。抗癌剤を専門にしている人のなかにも,例えば乳癌の再発にやってもしょうがないじゃないかといった意見を持つ人もいるけど,それを言うとパージされる。

川端 ミハエル・バウムという人がいて,彼は英国乳腺外科の第一人者の立場にいるわけですけど,2 年ぐらい前に乳癌検診無用論を公言したら集中砲火を浴びて,一般のマスコミからもかなり言われて「彼は女嫌いだ」とまで書かれて(笑),それに関する弁明が「BMJ」に出てました。それだけの立場にいる人でも,検診批判はすごく危険なんですね。彼は検診に回す金があったら治療に回すべきだと言ってるんです。
検診が確かに乳癌死亡率を20何%下げるにしても,その金を専門医へのアクセス整備に向けるべきだとか,あるいは抗癌剤,ホルモン剤の臨床試験にお金を注ぎ込んだほうが最終的に助かる人の割合が多くなると,助かる人の数の計算もしいるんですけど。

本紙 2 つの理論が都合よく棲み分けをしているのは乳癌だけなんですか。

近藤 癌全体に多分当てはまるんだろうと思うけれど,データ的にここがおかしいと言える根拠があるのは乳癌ぐらいなんですよ。

川端 あとはリンパ節郭清に関して言えば悪性黒色腫。手術に関するトライアルは難しいから。リンパ節郭清とほぼ同じことですけど,直腸癌に対する補助照射のデータはかなりあります。

近藤 ただ今までのデータをどうひっくり返してみても,例えば拡大手術によって生存率が上がったという証拠や証明はないから,そういう意味で乳癌のデータと矛盾しない。

川端 例えば,リンパ節を広範囲に取ることで生存率が上がったという,はっきりとしたデータは1 件もありません。最近,悪性黒色腫である限られた条件の人にリンパ節を取ったほうが生存率が延びたというデータが米国から出ているんですが,その論文にディスカッションの付録が付いていて,数人の専門医から,データ解釈の矛盾を突かれて袋だたきなんですね。だから悪性黒色腫でも,今のところはっきりしない。ないとまで言えないけど,あるという証明に至ってない。

近藤 ただ,まあ,あらゆる癌の手術というのは,乳癌からの類推からやってるわけです。

早期癌は必ず進行癌に?
川端 現時点だけ見るといろいろな意見が出てきますが,歴史を考えると割とすっきりします。胃癌の系統的なリンパ節郭清という概念,これが現在の日本の消化器外科を支配している考え方で,その系統的リンパ節郭清は1950年代ぐらいに梶谷先生(故梶谷鐶氏。癌研付属病院名誉院長,勲一等瑞宝章受賞)らが中心になって,乳癌のハルステッド手術をモデルにしてつくった体系です。それが確固たるドグマになって残っているわけですけれど,その元である同手術が消滅してしまった。
 根拠はなくなっているわけですが,だからといって胃癌のリンパ節郭清に局所コントロール以上の意味がないとまでは言い切れない。リンパ節を取っても――実際問題としては左胃動脈の周囲を取るぐらいなら問題はないでしょうが,それを言ってるのではなくて,問題は,状況によっては予防的に膵臓や脾臓を取ることがあります。そこまですれば合併症が増えます。
合併症が増えなければ,別に,取って悪い理由はそれほどないんですよ。でもいろんなデメリットを上回るだけのメリットが本当にあるのか。欧米ではメリットはないと,大多数の人が考えています。で,日本のほうが治療成績がいいとか,日本の外科医は手が器用だからという話になるんです。

近藤 これは乳癌の問題でも出てきたことで,ハルステッド手術を続ける理由として,日本人外科医がやると成績がいい,合併症が少ない,手術がうまいとか言われてたけど,そうではなかった。成績は確かにいいんだけど,それは日本人の乳癌の性質がおとなしいからで,外科医の手術の腕前のせいにするのは否定された。

川端 移植にしても心臓の手術にしても,患者さんの多い分野では,米国の外科医のほうが腕がいいと思うんです,スタープレーヤー的に集中して手術をすることもあるし。日本の外科医はリンパ節郭清には慣れてはいるでしょうが。

近藤 日本でもスタープレーヤーがやれば,手術も早くて合併症も減るんでしょうけど,中小の病院で,年間数人しか手術しませんという場合は,合併症が増えるし,手術痕も汚くなる。ぼくは米国人の乳房切除の手術痕を見て,すごくきれいだなと感心したことがある。
 もう 1 つは,お腹のなかの手術だと,日本人は合併症が少ないと言うけれど,それが本当ならば,日本人はやせてて手術しやすいといった,そういう影響が大きいのではと見てるけどね(笑)。

川端 年齢も日本人のほうが若い人が多いとか。体型はやっぱり大きいでしょうね。100キロを超えるような太った人が来ると,もうD2郭清も何もないですよ。とりあえず取るだけ取って,ほかのものは脂で見えないということで(笑)。
 それと,日本の外科医がリンパ節に転移が残ったら確実に再発して死ぬという前提に立っているけれど,それは欧米では認められていない。もちろん,そういう要素はあっても。日本のどの論文も,例えば,かなり離れたリンパ節に転移があった,それを取ってよかったということになるんですよ。しかもその人が 5 年生存したとなれば,取ったために助かったという解釈になるんですね。そういうことも可能性はあるにしても本当にそうであると欧米では認められていない。ところが日本ではドグマとしてそれがあるんですね。

川端 もう 1 つ加えると――「がんもどき」理論に関係してですが,有名な癌の専門病院の指導的な立場にある人が,早期癌は,例外があるけれど,原則的に進行癌になって致命的になりますという言い方をしていますね。でもこれは明らかにおかしいんです。この考え方でいる以上,検診をすることは常に良いことなんです。つまり,癌を見つけることが必ず良いことだというのが 1 つのドグマなんです。
 これはぼくも全然知らなかったことなんですが,検診についても物を言わなければならなくなって勉強して(笑),あらためて英語の教科書を読むと,そこでは子宮頸癌の上皮内癌の大部分は自然消失するなどとあるんです。それで根拠になる論文を探してみますと,例えばスウェーデンの統計(図)でそれまで年間1,000人ぐらいしか患者さんがいなかったのに,子宮頸癌検診を導入すると年間5,000人になるんですね。これはどう見ても 8 割ぐらいの子宮頸癌の人は自然に消失しているんだ,あるいは進行癌にならないと考えるしかない。そこまでのレベルではないですが,乳癌についても同様のことが言われる。甲状腺癌に至っては,他の病気で亡くなった人を調べると病理学的には 3 割ぐらいの人にあるんですね。でも,実際にはその100分の 1 ぐらいの人しか発症しないんですよ。
 ということは診断技術が進めば進むほど,不必要な,本来見つけなくてもよかった癌をいっぱい見つけてくる可能性がある。この点を理解しないと,検診は常に有効だと考えられるわけです。

近藤 なんでそういう考え方が出てくるかと言うと,一番の原因は,検診で発見された早期癌はなんのかんの言っても進行癌になるんじゃないのという思いが大きい。ぼくの考えは,検診で見つかるような早期癌は,全部とは言わなくても,大部分はそのままでいる。進行癌で見つかるようなのは検診では見つからない,検診のときは正常粘膜としてあったものが急に立ち上がって,いきなり早期癌の大きさを突破して進行癌までいって症状を起こして見つかるんじゃないかという解釈です。そこに思いが至らないと,この問題はなかなか理解ができないんじゃないかと思う。

「ロジカル」であることが求められる
川端 あと,検診の問題にもなるんですが,癌の自然史で,1 つはそういう前駆病変というか,非浸潤癌も含めて浸潤癌の前触れとなるような病変を取ることにどういう意味があるかが問題なんですね。近藤さんの考え方だと,そういう早期癌を含めた前駆病変を手術しても本当の進行癌になる人は減らないだろうということですね。

近藤 そう。

川端 子宮頸癌では――これはデータを解析しているだけなんですが,30歳前後で発見可能な非浸潤癌が発生して,それが10何年経て浸潤癌になって,4 年ぐらいして症状が出て,それから普通は治療をして半分近い人が死んじゃう。そういう自然史があるから,前駆病変を見つけて治療することで癌の死亡数が減るはずだという。でも,それは確実に証明されていませんけど。

近藤 30代に上皮内癌が多くて年寄りほど減るという事実は,大島さんともディスカッションしたんだけど,癌の通念と矛盾している。どういう癌も年齢が高くなるにつれて発生頻度が高くなるはずだから,減るっていうのは癌でない証拠ではないかと。

川端 乳癌で非浸潤性小葉癌というのがありますが,それは非浸潤癌であっても全体のリスクを表現しているだけで,その前駆病変を取ることは全く意味がないという考え方が支配的なんです。
フィッシャーの弟さんがそれに一部反対する論文を書いていますけれど。それはともかくとして,ところが非浸潤性乳管癌―― 2 つタイプがあるけど,そちらのほうは明らかに,そういう前触れの病変の出た場所に浸潤癌の再発が多いんですね。
 そう考えると,非浸潤性乳管癌というのはやっぱり前駆病変を取ることに意味がある。しかし,非浸潤性小葉癌を取ることは意味がない。だから子宮頸癌なんかの非浸潤癌を取ることが将来的にどういう意味を持つのか。ただ,一般的には明らかに後の浸潤癌を減らすだろう,と。

近藤 まあ,子宮頸部がなくなれば,癌の発生はありえなくなるから(笑)。

川端 そこで後遺症との――合併症との兼ね合いになるんですね。確かに若いうちに予防的に乳房切除すれば,普通は年を取っても乳癌にならないわけですから。

近藤 さっきの話で,上皮内癌が加齢とともに減るというのが,それは癌を見てるのではなくてパピローマ・ウイルスの感染症の一部の形態を見てるのではないかという可能性を強く感じるな。

川端 胃癌でも,いわゆる粘膜癌でも,分化度の低いものはその多くが進行癌に進展し,高分化型のものはあまり変わらないだろうという直感はありますけれど。例えば 5 ミリの胃癌を見つけたというのが,大大的なドラマとして『ガン回廊の朝』(柳田邦男。講談社文庫など)を読んでいたら,そんなふうに紹介されていました。でも,その時代には確かに仕方がなかったと思う。多くの方が進行癌で発見されて亡くなっていた時代に,そんな早期な発見は感動物語になる。

近藤 今となっては,ね。今でも――まだというべきかな,早期癌のごく一部しかその大きさにとどまらないんだと言われるけれど,むしろその逆であって,早期癌の大部分が大きくならないと考えたほうがいいんじゃないか。

川端 少なくとも相当の部分がそのままだということはまず認めておかないと。あとはその割合が問題なだけで。ほとんどが進行癌になって死んじゃうんだと言えば検診の問題もすべて片づくんですよね,そういう人たちにとっては,そこで議論が終わってしまうから。

近藤 だから「権威たち」は,もっとロジカルに発言してほしいよね,事実やデータに基づいて。
キーワード 【対談・近藤先生 川端先生-2】



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